記事の内容は面白く参考になるところもあったのですが、記事のメインメッセージとは少し違うところにツッコミを入れたいと思います。
それは今後、ますますiPhoneなどの携帯端末が我々の世界に入ってくるなかで、自覚しておくべき視点だと思うのです。
まずは気になる箇所を記事から引用
講師が1册の教科書を指定し、これについて講義するような従来型の教室は、時代遅れになりつつある。数年で内容が古くなるであろう「印刷された教科書」に関して、単一の情報源から話を聞くというやり方は、インターネットと比べると固定的で、絶望的なまでに制限されているように見える。インターネットは、数十億という人々が常に提供を続ける、絶え間ない情報の流れへと扉を開くからだ。
この中の特に「数年で内容が古くなるであろう「印刷された教科書」に関して、単一の情報源から話を聞くというやり方は、固定的で、絶望的なまでに制限されているように見える」という箇所に特に注目していただきたいのです。
僕は「数年で内容が古くなるであろう「印刷された教科書」」は、正しいと思っています。けどこれは今に始まったことではなくて、1900年代前半を生きたアインシュタインも「先生、今年の試験の問題が昨年のものとまったく同じなのですが!」と質問され、「そうとも。しかし、今年は全部答えが違うよ」と切り返しています。まあTwitterのBOTの発言なので正否は定かではありませんが知識の本質をついています。つまり知識は時と共に移ろい塗り替えられるものなのです。
しかし、その後の「単一の情報源から話を聞くというやり方は、インターネットと比べると」という箇所は直前の文とは必ずしもつながっていないし、インターネットと比べることでもないと思うのです。
まず仮に「印刷された教科書が数年で内容が古く」ならなくても、単一の情報源から話を聞くやり方はうまくありません。インターネットは複数の情報源から話を聞くことを可能にするツールではありますが、そのこと自体を促すものではありません。むしろ回答を見つける簡便さから最初の答えに飛びついて他の答えを探さなかったり、複数の「源」から得たつもりの「情報」が実は根拠の無い根無し草。あるいは「源」を書いていないだけで、実はすべて単一の「源」から得られたコピペだった可能性もあるのです。
いや、そもそも前提に問題があるでしょう。「印刷された教科書」が「単一の情報源である」という前提です。優れた教科書は複数の視点を柔軟に取り入れ、知識を得たことの満足感よりも、さらなる知識欲、好奇心を読者から引き出すもののはずです。
そのような優れた教科書のもとで行われる教育は、学生に知識以上に問う力と学ぶ力を与えるはずです。知識は往々にして移ろいやすく相対的なものです。大事なのはそれらを見極め、新たに作り出していく力だと思います。アインシュタインが何を言ったか、あるいはアインシュタインが言ったのかどうかではなく、そこから何を知り、問い、考えるかです。
iPhoneを取り入れた大学教育を行うRenkin教授(専門は中世研究)はこの点をちゃんと踏まえられているようです。以下引用
Rankin教授はいま、教壇に立って1時間話すことよりは、iPhoneを使って関連情報をその場で調べる方法に焦点を当てている。その後学生たちは、見つけた情報について話し合い、Rankin教授は正確で役立つ情報源の選定を手伝うことで会話をリードする。
僕は大学時代にある教授が言った言葉をしばしば思い出します。
「教育の目的は、学生が大学という機関を離れたときに自分で自分を教育する力を身につけさせることだ」
自分の目の前にある知識やツールがどのように変化しても、学び続ける力を身につけた人にとってそのような変化は小さな変化で、教育の本質は変わらないのではないかと思います。