2011年08月05日

上海で客引きと

 「どこか探しているのか?」

 友人二人と別れた後、そのまま帰るのもなんなのでふらふらしていた僕に、“兄ちゃん”は突然、英語で話しかけてきました。

 身なりは普通で、iPodらしきものを手に持っていました。僕はただの親切な兄ちゃんかと思って、

 「いや、なんでもないんだ」
と答えました。

 すると、兄ちゃんは僕の隣に、警戒感を抱かせない絶妙な距離で座り、僕が開いていたガイドブックを覗き込みました。

 「何を探しているんだ?」
僕は観念して、
 「マッサージを探していたんだ」
と答えました。

 すると兄ちゃんはおもむろにiPodケースから、
 「うちの会社のカードなんだ」
と言って渡してきました。初めは、昼間はマッサージ屋で働いている兄ちゃんかと思ったのですが、よく見るとどうも風俗のようです。

 「一時間のマッサージで100元。おっぱいをもみたければもう100元。そして。。。」
と、要求が上がるごとに100元ずつ上がっていくことを事細かに教えてくれました。

 「すまないが、もう帰ろうと思っていたところなんだ」
という僕に兄ちゃんは食い下がってくるので、すこし内情をうかがってみることにしました。

 「みんな学生で、日本語をしゃべる女の子もいる。もしよかったらママさんとしゃべっててもいい。」
となぜか「ママさん」の部分だけ日本語で、そのほかは流暢な英語で僕に教えてくれるのです。
 「ヨーロッパ人も、アジア人も来る。日本人や、韓国人。南アフリカ人も」
 「南アフリカ人??」
二人の間に驚きと、共感の笑みが浮かびます。

 「なあ、なんでそんなに英語が上手なんだい?」
 「会社が教えてくれるんだ」
 「ただで?」
 「そうだ」
 「そして君は給料を受け取る」
 「その通り」
 「いい仕事だね。けど今日は疲れてるし、もう帰るよ」
 「疲れているからこそ、マッサージが必要なんじゃないか」
ともっともなことを言い返されて思わず笑ってしまいます。僕が立ち上がって歩き始めると、一緒に歩いてきてなおも食い下がります。

 「なあ、いくつなんだ?」
 「27歳だよ」
 「同じだ」
客の共感をあおって、安心させて、店に連れて行こうという手だと思った僕は、
 「冗談だろ?嘘をつくなよ。なあほんとは何歳なんだよ?」
 「26歳だ」
照れたような笑顔で彼は、おそらく本当の年齢を教えてくれました。
 「何年この仕事をやってんるだい?」
 「7年だよ」
 「じゃあ20歳のころからこの仕事やってるのかよ?大学は行かなかったのか?」
 「ああ、高すぎるよ」
 「けど、この仕事で金を儲けてるんだろ?」
 「安いもんさ。月でたったの2000元にしかならない」

 友人の話によると、家賃が2000〜3000元、生活費が節約すれば1000元、普通に暮らして3000元、ちょっと贅沢すれば5000元。仮に現地人の彼の家賃が1000元で済んでるとしても、ひと月の生活費で精いっぱいで彼の手元にはほとんど残らないでしょう。

 「なあ、仕事を変えるべきじゃないか?君はこれだけ英語が喋れるわけだし」
 「英語なんて簡単なものだよ。重要なものは知識だ。知識がなければ意味がない。それにこの仕事が好きなんだ。時間が自由だしね」

 彼の発言は本質をついているように思えました。確かに彼の英語は、昼間にキャンパスツアーをしてくれた大学院生と遜色のないほどのものでした。会社で教えてもらったセリフを暗記しているのではなく、まさにコミュニケーションを可能にする生きた英語でした。

 しかし、最新鋭の機器とそれを使う目的を自由自在に説明できる大学院生とは徹底的に知識の量が違うのです。その知識の違いゆえに、兄ちゃんはその機器を見ることも、使うことも、もちろん自分で買えるようなお金を手にすることもないでしょう。

 ホテルの前まで来て、兄ちゃんは言いました。
 「とにかく、そのカードはキープしといてくれ。そして気が変わったら電話をくれ」
 「わかったよ。もし気が変わったら。電話する」
 「なあ、ところでマッサージを探してたんじゃないのか?」
 「ああ、そうだね」
 「ノーマルのか?」
 「そうだね。(君たちの仕事があるから僕が探しているのは)ノーマルの、ということになる」
 「この辺はショッピングモールとオフィス街だ。もしマッサージを受けたいのなら南京東路に行かなきゃ」
 「そうか、ありがとう。明日、言ってみるよ」
 「ああ、じゃあな」
 「じゃあ」

 最後に僕たちは、客と引きの関係ではなくて、同い年の友人として会話を交わした気がしました。僕たちに、必要な知識というものはなんなのでしょう。

 好きな仕事と、知識と、英語。僕たちの未来と将来。
 知識があればよりよい仕事ができるかもしれない。けれど英語が喋れなければその知識を十分に生かすこともできないでしょう。それに英語がわかれば知識を得る可能性も高まるのじゃないか。ただ、お金がないから最初の一歩が踏み出せない。

 そんなことをぼんやり考えながら、僕はホテルの部屋に戻ったのでした。
posted by ごとうp at 19:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | message | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月03日

上海で友人と

 上海に行ってまいりました。上海では、かとう師範大学でかなりExtensiveな心理学実験棟ツアーをしていただきました。そこには分子、脳波、遺伝子、行動などの多方面から人間の行動を探ろうと、合計で数億はするであろうという機器がそれぞれに分かれた個室に設置されていました。

 あれだけの設備は国内では理研と岡崎生理研にあるかないかでしょう。ツアーを行ってくれた学生さんの英語は非常に流暢でした。またツアーをアレンジしてくださった馬さんの話によると設備面では国内では5番目くらいでしょうと言っていました。日本であれだけの設備を備えている場所があるかないかほどなのに、中国では5番目くらいだというのです。中国の底の深さを思い知るとともに、今後の研究成果が待ち望ましいような恐ろしいような気持になりました。間違いなく、あそこには真実の可能性が潜んでいました。

 その後、今後の方向性について話し合い、馬さんとは別れました。

 夜は、上海で仕事をしている高校時代の友人と、大学時代の友人と一緒に食事をしました。

 高校を卒業してから9年、大学を卒業してから4年の月日が流れています。お互いにそれぞれ近況を話し合いながら、なんだか大人になったんだなあと実感しました。

 特に僕はいまだ学生で、2人は社会でしかも海外で働いており、うまく説明できませんが、すごいなあと感心しきりでした。

 考えてみれば不思議な三人で不思議な場所で会ったものです。それぞれがそれぞれの道を歩み、思いがけず上海の町で再会し、なぜかピザを囲んで僕は青島ビールを飲んで、語り合いました。

 やはり学生時代の友人というものはいいもので、それぞれに成長した部分もありながらお互いに何も変わっておらず、久しぶりにリラックスした気分を味わえました。2人もリラックスしてくれたようでよかったです。

 僕にとって上海はとてもモダンで割ときれいでいい街だなと思ったのですが、2人は長くいる場所じゃないと言っていたのが印象的でした。だからと言ってすぐに中国を出ようというわけではないと思いますが、旅行者には見えない、現地で生きているからこその言葉だろうなと思ったのです。

 そして僕たちは笑顔でわかれて、2人は明日の仕事へ、僕は日本に向かったのでした。
posted by ごとうp at 15:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | message | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。