「でも今みたいに運転してる人間をぶったりしちゃ駄目だよ、冗談抜きで」と僕は言った。「そんなことしたらどっかにぶつかって、二人とも死んでしまうことになる。これがデート・マナーの第二だ。死なないで生き延びること」(p. 308)
村上春樹全作品 1979〜1989〈7〉 ダンス・ダンス・ダンス
グレート・ギャツビーの最後でデイジイが交通事故を起こすのですが、上記の文章はギャツビーからの影響かなと思いました。ご存知のように村上春樹はフィッツジェラルドが大好きですからね。
それはそれとして、今日、カチカチ山の本当の話について、テレビでやっておりました。それだけでも怖い内容だったのですが、気になって調べてみたらWikipediaにはもっと怖い話が書かれていました。以下はWikipediaからの完全転載です。
昔ある所に畑を耕して生活している老夫婦がいた。
老夫婦の畑には毎日、性悪なタヌキがやってきて不作を望むような囃子歌を歌う上に、せっかくまいた種や芋をほじくり返して食べてしまう。業を煮やした老人は罠でタヌキを捕まえると、老婆に狸汁にするように言って畑仕事に向かった。タヌキは「もう悪さはしない、家事を手伝う」と言って老婆を騙し、自由になるとそのまま老婆を撲殺してしまい、その上で老婆の肉を鍋に入れて煮込んだ(婆汁)。タヌキは老婆に化けると、帰ってきた老人にタヌキ汁と称して婆汁を食べさせ、それを見届けると嘲り笑って山に帰った。
そこに老夫婦と仲の良かったウサギがやってきて老人から事の顛末を聞くとタヌキ成敗に出かける。ウサギは親しげにタヌキに近づき、金儲けを口実に柴刈りに誘う。その帰り道、ウサギはタヌキの後ろを歩き、タヌキの背負った薪に火打ち石で火を付ける。火打ち石の「かちかち」という音を不思議に思ったタヌキが、このことをウサギに聞くと、ウサギは「ここはかちかち山だから、かちかち鳥が鳴いている」と答えた。結果、タヌキは背中に大火傷を負うこととなったがウサギを疑うことは無かった。
後日、何食わぬ顔でウサギはタヌキの見舞いにやってくると、良く効く薬だと称してカラシ(もしくはタデの汁)をタヌキに渡した。これを塗ったタヌキは更なる痛みに散々苦しむこととなったが、やはりウサギを疑うことは無かった。
タヌキの火傷が治ると、最後にウサギはタヌキの食い意地を利用して漁に誘い出した。2匹が湖に来ると木の船と一回り大きな泥の船があり、ウサギは「たくさん魚が乗せられる」と嘯いて、タヌキに泥の船を選ばさせ、自身は木の船に乗った。沖へ出てしばらく立つと泥の船は溶けて沈んでしまい、タヌキは溺れてウサギに助けを求めた。しかし、ウサギは逆に艪でタヌキを沈めて溺死させ老婆の仇を討った。
Wikipediaへ
童話の元々の話って、ほんと怖いものが多いですよね。当時は教訓的なものというよりは、庶民にとっての数少ない、刺激を与えてくれる娯楽だったのかもしれませんね。なんて、勝手に思ってみました。
太宰治版カチカチ山のあらすじはこちら