さきに1つだけ言い訳をさせてください。僕はうつとかそういったことに関しては専門家でも何でもありません。だから以下に書くことは僕の個人的な見解と抜き読み、盗み読み、斜め読みした知識によるものです。
残念ながらリソースを忘れてしまったのですが、今回のような大きな震災から生き残った人たちがうつになることがあるようです。そういった人たちがしばしば口にするのが「自分だけが生き残ってしまった」「自分が死んだ方がよかったんじゃないか」という言葉です。
震災による大きな状況の変化も手伝ってこのようなうつが重症化したり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になる方もいるらしく、阪神淡路大震災のときも問題になったそうです。
こういったうつというものはあくまで対人関係の喪失によって引き起こされたり、直接被災した人が経験するものです。したがってこの手のうつは「集団うつ」ではなく一般的な「個人うつ」です。
僕がここで言う「集団うつ」というものは、(そんなものがあればですが)知人や自分自身が被災していないにもかかわらず、「軽度のうつ」のような症状を呈する状態です。
うつには様々な症状がありますが、僕が特に注目したいのは感情能力の低下と食欲の低下です。感情能力とは楽しいなどの感情を感じる力のことです。この感情能力を失うことの問題は、今現在楽しいと感じられないために今後何かをしてもどうせ楽しいと感じないだろうと考えることです。
たとえば、今日あなたが恋人にふられたとしましょう。あなたの気分は落ち込んでいます。そこに何も知らない友人が「カラオケいこーぜー」なんて誘ってきても行きたいと思いますか?「どうせ楽しめないからいい」といって断るのではないでしょうか。
うつというのはそういった状態が慢性的に続く状態です。そして、いま気乗りしないからといって活動するのをやめず、とにかく動くことが軽度のうつ状態を解消するのに役立つのです。
世間があんまり「自粛、自粛」っていうもんだから多くの方は「そこまでしなくていいんじゃない?」と思っているかもしれません。しかしその一方で「こんな時だし」といって消費を抑えてもいるのではないでしょうか。
これは被災した多くの映像に触れ、そのうえ世間の「自粛せよ」というムードによって、日本中が「集団うつ」にかかっているのかもしれません。もしそうだとしたらうつのもう1つの症状、食欲の低下によって、自粛ムードをさらに助長しているのでしょう。
うつは心が体に影響を与える病気です。体が体に影響を与える場合は無理に動いたり食べたりしない方がいいですが、本来からだ自体には不調が無いうつのような場合はむしろ動いたり食べたりすることで心が回復してくることがあります。
別にバカ騒ぎしろとは言いません。無理して動けとも言いません。けど、「こんなときに私だけが楽しくしていてはいけない」とか「どうせ今みたいな時期はうまく楽しめない」と思っているのなら思い切って動いてみると意外と楽しめるかもしれませんよ。そしてそれが日本全体や東北・関東を元気にすることにつながるのかもしれません。
2011/4/4のトップ3
1.4月3日までの関東地方の計画停電の予定
2.大学教授が大学生に薦める本100選
3.面白いメアド選
無神経になることと、自分のいる場所で明るく過ごすことは、決して同じではないと感じました。
僕は、ここまでの自粛ムードなると思わなかったです。
そして、しばし極端じゃないかと思ってしまう。
経済的にみると
自粛自粛では消費が減少してしまっては、
経済にはよくない。
経済が復興への基盤にもなっていくのです。
おかんが東北を考えて、
大阪で計画停電してましたけど、
復興を考えるならば、
非被災者は普段通り生活すべきです。
あまり自粛ムードが強すぎるのも考え物です。
もちろん
被災の葛藤なしの経済活動を行うことは
時に不道徳でしょう。
極端な例として、野球。
ナイター運営の真偽を問われたけど、
被災者と組織の道徳的な葛藤なのか?
消費者と組織の利益的な葛藤なのか?
そうした議論の中で、
経済の生産の在り方が
道徳的に研ぎ澄まされた物になるんじゃないかと思います。
しかし、
蓋を開けてみると
自粛自粛
なにかすれば不謹慎。
なにもできない状況です。
僕(心理学入門者)が、
しばし極端じゃないかと思ってしまう理由は
日本人は、
習慣的水準者(コールバーグ)が多すぎるということです。
不謹慎なものは排除すべきだ。
みんなと共に秩序を守ろう。
との考えをする人達が多すぎる。
それが、
今回の被災で長所として顕れたことも確かですが、
経済生産の芽から自粛すると
道徳的に研ぎ澄まされた生産が
発展しにくいように思います。
逆に、
脱習慣的水準者が少ない。
多いものに一票(民主党の時もそう)。
斬新な物は考えない。
今の秩序に疑問を持たない。
現在の状況から一歩考えて、
新しいものを生産することなく、
自粛という形で排除するしかないみたいです。
余計なことはしない精神が
全員で
なにもしないことに
なってしまうような気がします。
文が下手クソだ。
とりあえず思ったことをまとめてみました。
おかしい部分はまた教えてくれい。
しかし、こんな時だからこそ日本復興にむけて生き残った皆で頑張って行かないといけないって思うけどなぁ。戦後はきっとそういう「頑張るぞ!」やる気に溢れていたのではないかと想像する。まあそこには戦争が終わった安堵感もあったんだろうけどね。
日本はまだ100%安心は出来ないとは思う。止まらない余震や未だ不安な原発と。しかし、心配し過ぎても何も始まらない。やはり皆で動き出さないと。商売をやっている身としては、若い人々にどんどん働いてどんどん消費してもらいたい所だな。生き残れたのは本当に有り難いことで、自分は生かされていると自覚して日本の役に立って行って欲しいなと思う。勿論自分も含めてね。そう思ったら自粛とか、うつとかになっている場合ではないような気がするよ〜。ごとうpは色々ご活躍されているみたいで頼もしいね!!若い子達をどんどん刺激してやって下さい。
乙武さんが言っていることで面白いなと思うことは、他者との関係性で同じことやっても無神経になったりそうでなかったりするって所ですよね。
今回のことで言うとつながりのある明るさか、無関心な明るさかって所でしょうか。
>尾西
なぜ「脱習慣的水準者」がいないかと言うと、まさに集団うつによるものなんじゃないかなと思うわけです。もちろん文化的な背景は見逃せませんが、それもまた集団うつに拍車をかけているように思います。
「道徳的に研ぎ澄まされた生産」というのは非常にいい言葉だなと思います。集団うつから脱して「元通り」になろうって言うんじゃなくて、ここから新しい生活スタイル、世界をリードする新しい日本を作り出せるチャンスなんじゃないかと感じさせます。
>baba mariko
そうですね。今回のことを戦後になぞらえる人もいるけど、今回のことが特殊なのはどこに安堵感をおけばいいのか分からないところですよね。
戦前、戦中の慢性的な不安感というのは確かに危険なんだけど、地震のような突然の変化による不安感というのは終わりが見えないからいつまでたっても安堵感が得られないのかもしれません。そこから抜け出すには良くも悪くも「忘れる」しかないのかな。